GroKo (グロコ)という言葉が飛び交うドイツ。GroKoとは”große Koalition” (大連立政権)の略。2度目のCDU/CSU (キリスト教民主・社会同盟) とSPD (ドイツ社会民主党) の連立政権が生まれた2013年には流行語にもなったこのGroKo (グロコ)。今回で3度目だ。

SPDの党員投票で連立合意が了承されたことから、3月半ばには再びメルケル政権が発足する。実に4期目の再選を果たしたアンゲラ・メルケル氏のパワーと成功の秘密を探ってみよう。

1. 規則正しく、完璧を求めて

1954年、プロテスタント神学者である父ホルスト・カスナー(Horst Kasner)とラテン語と英語の教師だった母ヘルリント(Herlind Kasner) の第一子として西ドイツのハンブルクに生まれたメルケル氏。

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すでにベルリンの壁の建設が始まり、西への移住者が大量に流出する中、両親は生後わずか数週間のアンゲラを連れて、ハンブルクから東ドイツ(DDR)の小さな村、クヴィツォウ(Quitzow)へ移住。父・ホルストは牧師不足を補うために東ドイツに派遣されたのだった。

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移住先では村人から厚い信頼を寄せられ、慕われてきた牧師の父。「規則正しくあるように」と父から常に言い聞かせられてきたというアンゲラは、子供の頃から「父の影響で完璧主義すぎる傾向があった」という。妥協しない彼女の性格は父親の影響を受けているのだろうか。

2. いつも情熱と行動力を

1977年、ライプツィヒのカール・マルクス大学で物理学を専攻していた23歳のアンゲラは、同学部の学生ウルリッヒ・メルケル(Ulrich Merkel)と結婚。現在の姓は彼に由来する。

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「彼女の優しさや自然体の魅力に惹かれた」というウルリッヒだが、5年後に二人は離婚。ある日突然、「アンゲラは自分の荷物をまとめて出て行った」という。

大学を卒業後、東ベルリンにあった科学アカデミー付属物理化学中央研究所に就職したアンゲラ。唯一の女性研究員だった彼女は、1986年に博士号を取得。その頃、同研究所で現在の夫、ヨヒム・ザウアー(Joachim Sauer)と出会う。

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1989年、ベルリンの壁が崩壊すると、アンゲラは先行き不透明な物理化学中央研究所を辞職。民主化運動から市民団体としてライプツィヒで発足した政党、「民主主義の出発(Demokratischer Aufbruch, DA)」の結党メンバーとなり、同党でスポークスマンを務める。

東西ドイツが再統一すると、36歳のアンゲラは西ドイツ首相のヘルムート・コール(Hermut Kohl)率いるキリスト教民主同盟(CDU)に入党し、翌年には連邦議会選挙で初当選を果たした。

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3. 戦術的に、したたかに

東ドイツ出身のアンゲラを人々は「東から来た灰色のネズミ(graue Maus aus dem Osten)」と揶揄し、コール首相も「フォークとナイフの使い方も知らない女性」だと馬鹿にした。しかし、そのコール氏は初当選したばかりのアンゲラを「連邦女性・青少年大臣」に任命し、1994年には「連邦環境・自然保護・原子力安全大臣」に据えた。

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コール氏の“東西統一マスコット”として見られていた「コールのお嬢さん(Kohls Mädchen)」アンゲラだが、1999年、その恩人に対して公然と批判キャンペーンを展開する。不正献金が発覚したコール氏から距離を置くようにと、CDU党員に呼びかけたのだ。同じくヤミ献金問題でショイブレ党首が辞任すると、2000年4月、46歳のアンゲラは初のCDU女性党首へと躍り出た。

4. 奢ることなく気さくに

お腹の前で親指と人差し指で作るひし形のポーズ、「メルケルの斜方形(Merkel-Raute)」。このハンドジェスチャーについてメルケル氏は「対称性へのある種の愛(eine gewisse Liebe zur Symmetrie)」だと語っている。

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首相でありながらも、いつも相手と同じ目線で接しようとするメルケル氏。街角で気軽にセルフィーに応じることもしばしば。

5. 女性らしさも忘れずに

首相候補に取りざたされた2003年から彼女のヘアースタイルを担当しているのが、ドイツで最も有名な美容師ウド・ヴァルツ(Udo Walz)。クラウディア・シファー、ジュリア・ロバーツ、ジョディー・フォスターなど、名だたるスターを輝かせてきたヴァルツ氏。63歳のメルケル氏は彼の大切な常連客だ。

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そして、夫との共通の趣味であるオペラ鑑賞には、かなりのドレスアップをして出掛けるメルケル氏。その外出には本人も「女性であることを楽しむ」場だと意識している。2008年にオスロのオペラ鑑賞に、胸の大きく開いたドレスで現われた彼女は特に印象深い。

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6. オンとオフをはっきりと

首相であっても好んでキッチンに立ち、スーパーにも買い出しにいくメルケル氏。得意料理は、ジャガイモスープやリンダーローラーデン(牛肉のロール煮)だという。

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自然の中でリラックスするのが好きなメルケル氏は、休暇で登山やトレッキング、スキーに出掛けることが多い。2014年には休暇先のスイスでクロスカントリー中に転倒し、骨盤を骨折。杖をつきながら公務を続けた姿も記憶に新しい。

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そしてもう一つ、メルケル氏の大切な趣味はサッカー観戦だ。自らを「12人目の選手」と呼ぶほど熱烈なサッカーファンの首相は、頻繁に代表チームの試合に足を運び、応援席から大きな声援を送っている。

7. 支えてくれるパートナーがいる

以前、在籍していた物理科学中央研究所の同僚だったヨアヒム・ザウアー(Joachim Sauer)とメルケル氏が再婚したのは1998年、44歳の時のこと。以来、二人がプライベートの会話で政治の話をすることは一切ない。二人の間の取り決めだそうだ。

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量子化学の現役研究者で、フンボルト大学ベルリンの教授であるザウアー氏は、メディアへの対応も自分の研究分野に関することのみに限定している。目立つのが得意ではないザウアー氏だが、ドイツが主催国だった2007年のG7先進国首脳会議ではファースト・ファースハズバンドの役を担い、各国首脳夫人らをもてなした。

5ヶ月以上の政治空白がようやく収束し、再び誕生するメルケル政権。首相を務めるのは今回が最後と言われているが、どんな政権を運営することになるのか、彼女の手腕に期待したい。