株式会社 デンソー
エグゼクティブフェロー 中川 雅人 氏

2005年、1年間の全英チーフエンジニアとしての職務を経て、新設アーヘン・エンジニアリング・センターの初代所長として出社した僕の“初仕事”はなんとトイレットペーパーの買い出し。

なんせ僕も含めて従業員4人でのスタートでしたから。しかし、センターが本格稼働すると瞬く間に50名、100名と従業員は増えていきました。これだけ多くの社員を、しかも異国・ドイツの法とルールに則って“平和的”にマネージメントするというのはもちろん容易ではありませんでした。

出典: © 中川雅人氏

まず最初にぶつかったハードルは厳格な労働時間規定。ドイツでは「週40時間、かつ1日10時間以内」という労働時間が法律で決まっています。

つまり、日本では日常茶飯事に行われている「残業」も1日に2時間を超えてはならない。さらに、所定外労働があった週は、一週間で40時間に収まるように他の日の労働時間を調整しなくてはなりません。唯一、所定外労働に制限がないのはマネージングダイレクターの社長もしくはCEOのみ。

Image; 出典: flickr/RBerteig CC BY 2.0

小さな違反でも労働局に知られてしまうと会社側にペナルティ、つまり罰金請求がきます。しかも200万円規模の莫大な金額の請求です。会社によっては、担当部署の責任者に“監督不行き届き”として個人請求してくるところもあるそうです。

デュッセルドルフ労働局; 出典: © Bundesagentur für Arbeit, Düsseldorf

このようなシビアな環境だからこそ、大切になるのが「効率性」と「生産性」。いかに効率良く、高い生産性を実現できるか。

まず会議は議論をする会議だけに限定しました。会議というのはものすごく時間を食いますからね。日本の会社はとにかく会議が大好きで、企画をスムーズに進めるためだけの「根回し会議」や、ただ報告するだけの「報告会議」。議論をする会議であっても、「この件に関しては次回までの宿題にしましょう。」とか言って、結論は持ち越されて、数週間後にまた同じような会議を開く。その繰り返しです。

Image; 出典: flickr/sectorfuenf CC BY-NC-ND 2.0

僕は、参加者全員が事前にしっかり準備をし、熱論を交わせる充実した会議だけを行うことにしました。メモを取っているだけの人や、あくびを必死にこらえている人など誰一人としていません。彼らも真剣勝負です。会議は個人をアピールする絶好のチャンスですから。

日本の場合、徐々に変わりつつあるとはいっても、基本的には終身雇用制度です。正社員であれば誰でも定年までの雇用が保障されている。だから1つミスっても、その後どこかで逆転できると思っている。しかし、ドイツだけでなく欧米では2年〜7年で職場を変えるのが一般的。

雇用に際しては、仕事内容や役割など、会社側からの要求事項が契約書上にすべて記載されます。さらに、1年ごとに上司と部下が面談して、目標を設定します。ここまで達成すれば3ポイント、それ以上の成果や結果が出せれば4ポイント、5ポイントといった具合に。それによって、契約延長の場合は昇給や賞与が決まります。僕も直属の部下50人ぐらいと、毎年このような面談を行っていました。

Image; 出典: flickr/Dennis Skley CC BY-ND 2.0

さらに徹底させていたのがTo Doリストの作成と遂行。優先事項を全て書き出し、いつまでに何をどこまで完成させるのかを明確化するのです。

明確化しても、実行できなければ意味がないですが、従業員の実務能力の高さによって、合理的かつ効果的に仕事を進めることができました。彼らは、即戦力のある、所謂「使える人材」なわけです。

このことは、まだキャリアも浅い、勤続年数も短い若者にも言えることで、その秘密は、彼らが大学生のうちに行うインターンシップにあるようです。

出典: © 中川雅人氏

日本でも最近ではインターンシップ(就業体験)が始まりましたが、実施されているその多くは1Dayインターン、その次に2〜3日、1週間程度といった具合の超短期間のもので、「就業体験」というより「会社見学」といったところでしょうか。

一方、ドイツのインターンシップは3ヶ月〜半年間で、大学を卒業するまでに複数の会社で企業実習を行う学生もいます。これだけの期間を、学生らが企業内で“邪魔者”としてではなく“役に立つ労働力”としてインターンをこなせるのにはワケがあります。

アーヘン工科大学; 出典: Wikipedia CC BY-SA 4.0

ドイツでは、すでに大学のカリキュラムの中で実習授業が多く組み込まれています。例えば、僕がよく足を運んだアーヘン工科大学(RWTH Aachen University)ですが、日本の大学だと、何世代もの前のエンジンベンチが1台あるぐらいですが、最新のものが16台もあり、学生一人一人が自ら機器に向き合い、操作し、課題に取り組んでいます。

アーヘン工科大学; 出典: Wikipedia CC BY-SA 4.0

アーヘン工科大学は産業界の技術開発にも携わっていて、例えば、BMW社の委託を受けて、電気自動車『i3』やプラグイン・ハイブリッド車の『i8』のエンジン評価も行っています。自動車メーカーが大学機関に性能評価を委託することなど、日本ではあり得ないことです。

ドイツでは、このように学生達が実学を積み上げて、さらに長期間の企業内インターンも経て、高い実務能力を備えた上で職に就きます。座学オンリーの日本の学生とは異なる「使える人材」が生まれる理由がここにあるわけです。

エクセレンス・イニシアティブ指定大学; 出典: Wikipedia CC BY-SA 3.0

ドイツには「エクセレンス・イニシアティブ」(Excellence Initiative)という制度があります。産業界の国際競争力向上に貢献すると見なされた大学を支援する制度で、国は相当額の特別予算をつけています。

さらに、ドイツを代表する9つの工科大学を『TU9』(9 führende Technische Universitäten in Deutschland)に指定し、他大学よりも多い研究資金を助成しています。その両方に属しているアーヘン工科大学は、国からの豊富な支援により、ハイレベルな設備投資が行えているというわけです。

出典: © TU9

ようやくインターンシップに関心を持ち始めた日本の関係省庁ですが、企業側での受け入れ態勢を論じる前に、大学制度変革を推進するべきです。例えば、インターンで大学の単位を取得できるようにするとか、研究費助成制度を見直すなど。やれることは沢山あると思うんです。それが産業界の活性化にもつながるわけですから。

長年ドイツに滞在していて気がついたことは、そういった教育機関へのサポートのみならず、民間企業の研究開発や新事業創出に対しても「官」からのバックアップがなされているということです。

仕事柄、僕はよく「日本車はなぜドイツ車のようになれないのですか」と質問されるのですが、その答えはズバリ、試作車のテスト環境の違いにあります。

Image; 出典: flickr/European Roads CC BY-NC 2.0

自動車メーカーが車を最終的に評価するのは、試作車によるテストコース走行です。日本車のテストコースはすべて日本国内にある試験場で、平坦な周回コースから成り、速度も出せて120、130km。

ドイツメーカーが利用しているテストコースは、一般道路とアウトバーン。ドイツでは、実に簡単な申請で、一般道のみならず、アウトバーンでも利用可能な試作車用走行許可証を得ることができるんです。

危険に思われるかもしれませんが、メーカー試験場での数々のテストを経てからの、一般道やアウトバーンでの最終走行なので、過度な心配は要りません。チーフエンジニアのような技術部門の責任者が、土日などのプライベートな時間にも試作車に乗って、いろいろなドライブシーンを想定して試作車をチェックします。

出典: Wikipedia CC BY 3.0

時速200kmでアウトバーンを走った時の風切り音と下からのロードノイズ、ステアリングのズレ。ガタガタの石畳を走ってみたり、わざと悪天候の日に走ってみたり。どんな条件でも、快適に走れることを目標にして研究開発されるのがドイツ車。アウディやBMWの本拠地があるミュンヘン近郊に行けば、白地に渦巻きマークの車がいっぱい走っています。それらは全部、まだマーケットに出回っていない試作車です。

アーヘン市内。右に見えるのがアーヘン大聖堂; 出典: flickr/Frans Berkelaar CC BY-SA 2.0

僕も、どこかの自動車メーカーの試作車ではありませんが、自分の車の性能を意識しながら遠出するのが好きでした。日本の温泉が恋しくなって、よく出掛けたのがアーヘン市のカロルス・テルメン(Carolus Thermen)

カロルス・テルメンの屋内大浴場; 出典: © Carolus Thermen/Facebook

実は、アーヘンは古代ローマ時代から温泉保養地として有名で、ローマ帝国やカール大帝の兵士たちも戦いの傷をカロルス・テルメンで癒したという伝説があるほど。カール大帝がこよなく愛した温泉だったことから、「カール」のラテン語読み「カロルス」が温泉名につけられたそうです。

カロルス・テルメンの屋外浴場;出典: © Carolus Thermen/Facebook

施設も充実していて、内風呂も外風呂も種類が豊富。世界遺産にも登録されている壮大なアーヘン大聖堂を訪れた後、カロルス・テルメンでミネラルたっぷりのお湯に浸かる。最高の心身リラックスコースでした。

緑あふれるモンシャウの街; 出典: © monschau.de

そして、特に日本からのお客様が来ると自信を持ってお連れしていたのが、小さくも愛らしい街、モンシャウ(Monschau)。ベルギーとの国境山間部に広がるアイフェル国立自然公園(Nationalpark Eifel)地域にあり、デュッセルドルフから車で1時間半ほどで着きます。

モンシャウの街を流れるルーア川; 出典: © monschau.de

街を流れるルーア川(Ruhr)のせせらぎと、17・18世紀に建てられた可愛らしい木組みの家並み。まるでゴッホの絵を見ているかのような、おとぎ話の中にいるかのような錯覚に陥るほどの美景。モンシャウ − 別名「アイフェルの真珠」は、日本のガイドブックにも載っていない秘境です。機会があればぜひ一度訪れてみてください。

中川雅人氏
1956年愛知県生まれ。1980年、広島大学工学部第一類機械工学科卒業、日本電装株式会社(現・株式会社デンソー)入社。1988年-1993年、エンジニアとしてアイオワ州に駐米。2003年-2004年、全英担当チーフエンジニアとしてロンドン駐在。2005年アーヘン・エンジニアリング・センター所長、2014年欧州社長、2016年欧州CTO、2017年エグゼクティブフェローに就任。広島大学客員教授も務める。専門は技術移転論。14年間の欧州駐在歴から社内外から「ミスター欧州」と呼ばれている。

(Interview und Text von Kyoko Tanaka)