株式会社 デンソー
エグゼクティブフェロー 中川 雅人 氏

僕がデンソーの欧州中核開発拠点の一つ、「アーヘン・エンジニアリング・センター(DENSO AUTOMOTIVE Deutschland GmbH, Aachen Engineering Center)」の所長に就任したのは2005年1月、48歳になったばかりの時でした。

子供たちは高校生と大学生になっていて、妻も仕事をしていたので、単身での赴任を決意。大概、海外駐在というのは4、5年が目安なので、そのぐらいで帰って来れるだろうと踏んでいたわけです。ところが、帰国したのは2017年。ドイツ滞在は11年間に及び、そのうち10年間をNRW州で過ごしました。

デンソーグループの欧州中核開発拠点であるアーヘン・エンジニアリング・センター; 出典: Denso

まず、単身赴任だった僕にとって一番面倒だったのはドイツの閉店法。全欧の技術責任者として、北はスウェーデンのボルボ社から南はイタリアのフィアット、フランスのルノーに、プジョーに、シトロエン、そして全てのドイツ自動車メーカーを飛び回っていたので、日曜日に店が閉まっていて買い物ができないという“事態”は致命的でした。買い物に行ける土曜日には、あらかじめ用意しておいた買い物リストを片手に、どの店から何を手に入れるのか、“作戦”を周到に練り、“出陣”したものです。

出典: © Fotolia / Eisenhans

そんな閉店法のストレスから解放されたのが2009年。空港内に大手スーパー「レーベー(REWE)」が出店してからです。生鮮食品を含む食品から日用品までの十分な品揃え、朝5時から深夜0時までの営業時間、そして明るくて広い店内。言うことなしです! レーベー空港店ができてからは、何曜日の何時にどこから帰ってこようが、ゆっくりと買い物をして自宅に戻れるようになりました。

大手スーパー「レーベー(REWE)」デュッセルドルフ空港店; 出典: © dus.com

現地には家族がいなかったので、日曜日はよく早朝からゴルフに出かけました。ドイツ人はゴルフするイメージがあまりありませんが、愛好家は意外と多く、デュッセルドルフ近郊にもゴルフ場がいくつもあります。市内から一番近いゴルフ場がグラーフェンベルク。そして、北東に車を20分ほど走らせれば、全独女子オープンやNRW選手権が開かれる、広大な敷地を持つフベルラートがあります。

デュッセルドルフ市内から最も近いゴルフ場のグラーフェンベルク 出典: facebook/thomas.girgott

それらのゴルフ場に行って、まず目につくのが日本人のアウトフィット。どなたもゴルフウエアだけでなく、サングラス、グローブ、シューズ、帽子と、上から下まで流行りのデザインやブランド品で着飾っている。見るからに、かなりお金をかけています。

一方、ドイツ人は投資感ゼロ。普段と変わらない黒やグレーの地味な服装に身を包み、シンプルにスポーツとしてのゴルフを楽しみにきているというイメージです。

広大な敷地のゴルフ場フベルラート内をセルフカートで移動するプレーヤーたち; 出典: facebook/Golf.Club.Hubbelrath

彼らの倹約家ぶりは、移動手段にも見られます。日本人だと、移動は全部、電動カート。荷物を載せ、自分も乗り込み、屋根付きカートで“悠々と”次の地点まで移動します。ところが、ドイツ人は誰も電動カートを使いません。みんな手動のセルフカートにゴルフバックを乗せて、18ホール全てを歩いて移動。電動カート1台に35ユーロも払うことなど“馬鹿らしい、無駄だ”という考えです。

ドイツ人の節約体質は、その他の生活シーンでも観察できました。例えば、僕の職場があったアーヘン市は、オランダの国境から10キロほどの場所に位置しているのですが、タックスの関係なのでしょう、ガソリンもディーゼルもオランダの方が安いので、給油のためにわざわざオランダまで行く人たちがいました。往復の燃料代を考えてもペイできるぐらい、値段の差があるということなんでしょう。

オランダ国内にあるガソリンスタンド; 出典: flickr/Hans Porochelt CC BY-NC-ND 2.0

そのぐらい“貴重な”燃料なのに、僕がちょっと忘れ物をしたりして、エンジンをかけっぱなしで車を離れたものなら、もう大変です。すぐに見知らぬ人がやって来て、厳格なドイツ語で「あなたは何のためにエンジンをかけているの!」、「すぐにエンジンを切りなさい!」と注意してきます。

日本の“もったいない文化”とは違う、積極的な節約志向のドイツの“倹約文化”。「郷に入れば郷に従え」ですから、何度か怒られてからは、どんなに短い時間であろうと、意識的にエンジンを切るようにしました。

ただ一つだけ、ドイツでの生活で慣れなかったことがありました。それは天気です。運が悪ければ、夏が訪れない年もあるぐらい当てにならないドイツの気候。

12月のライン川沿いの散歩道; 出典: flickr/Stephan Downes CC BY-NC 2.0

日本のように寒くても太陽さえ出てきてくれればどうってことはないのですが、ドイツの秋や冬は太陽が出てきてくれない。しかも、そんな日が何日間も続いたり。時々、雲と雲の切れ間から差し込む日差しの力もあまりに弱い。

市民の憩いの場所 – ライン川沿いのRheingärtchen; 出典: flickr/PetrOlly CC BY-NC-ND 2.0

ドイツ人が休暇で南欧に出かける理由も、太陽が出た時にはすぐにベランダや公園に出かけて日光浴をする理由も、夏には無理してでも肌を出して日焼けしようとする理由も、すべてはこの日照不足にあるわけです。

そうは言っても、デュッセルドルフは、特に僕のような単身赴任の者にとって、本当にありがたい居住地でした。太陽のない曇天の日でも、街に出れば、そこにはミニジャパニーズタウンがあって、郷愁の念にかられている僕とその胃袋を慰めてくれました。

例えば、インマーマン通り(Immermann Straße)から1本北に入ったクロースター通り(Klosterstraße)にあるアットホームな雰囲気の「日向」さん。コロッケやカレーライス、鯵のフライや秋刀魚の塩焼きなどの家庭料理が自慢のお店です。

日本の居酒屋風の気取らない店 – 日向; 出典: © bento-daisuki.de

同じく、クロースター通りにある「YABASE」さんもお薦めです。新鮮な刺身や握り鮨、胡麻和え、天婦羅、揚げ出し豆腐に至るまで、質と鮮度にこだわった料理を提供してくれます。そして、何と言っても忘れがたいのがYABASEさんの隠れメニュー、生卵ごはんセット。

出典: flickr/Ippei Suzuki CC BY 2.0

ドイツでは生卵は食用しないので、メニューには載っていないのですが、「大将!あれ、お願い!」というと、卵かけ御飯と味噌汁とお漬物のセットを運んできてくれるんです。有り難かったですね。何度、卵かけ御飯の美味しさに感動し、ホームシックから救われたことか。

実は、デュッセルドルフは市内やその近郊に住む日本人だけにありがたい街ではないんです。土曜日になると、インマーマン通り付近では、ちょっと変わった光景を目にします。「NL」、「B」、「F」のナンバープレートをつけた車が道路にずらり。

日本のお店がたくさん集まる通り – インマーマン通り; 出典: Wikipedia Public Domain

つまり、オランダ、ベルギー、フランクフルトからの車ということ。日本人が用足しにデュッセルドルフに来ているわけです。アムステルダムからだと3時間、ブリュッセルからは2時間、フランクフルトからでも距離はあるのですが、アウトバーンを使えば3時間弱でデュッセルに到着します。

彼らの行動パターンはだいたい決まっていて、まず、現地を早朝に家族で出発して、昼頃に到着。まずラーメンを食べに行きます。デュッセルドルフはヨーロッパ随一のラーメン激戦区ですからね。札幌直送の中太麺でコクのある札幌ラーメンを提供している「匠(TAKUMI)」さん、博多風豚骨ラーメンの「たけぞう(TAKEZO)」さん、ドイツ人にも人気の「NANIWA」さんなど、有名店がひしめき合っています。

TAKEZOの人気メニュー、担々麺; 出典: facebook/Takezo

ラーメンでお腹を満たしたあと、家族はそれぞれ別行動をします。日本の食材を買い出しに行くひと、日本語書籍店「Bookstore Nippon」に最新の日本語雑誌やコミックをチェックしに行くひと、食パンやメロンパン、チョココロネなどの、柔らかい日本のパンが買えるパン屋さんに行くひと。

季節の和菓子が並ぶこともある和風ベーカリーMy Heart; 出典: facebook/bakerymyheart

ただ彼らの一番の目的は、実は、ラーメンでも、日本語の本でも、柔らかいパンでもなく、ヘアーカットにあるのです。ドイツ人にとって、太くて硬くて扱いにくい日本人の髪。ドイツ人サロンで切ってもらったら、とんでもない髪型になったという“嘆き”は他の地方に住む日本人からよく聞きますからね。

出典: flickr/Christian Schnettelker CC BY-SA 2.0

でも、デュッセルだと安心です。日本人による日本人のための美容院や理髪店が5軒ほどありますから。だから、車で通える範囲に住んでいる日本人は、わざわざ髪を切ってもらうためにデュッセルにやって来るというわけです。ちなみに僕が通っていたのはSalon Mai(マイ)という美容院。日航ホテルの中にあるWing(ウィング)という店も人気です。髪の毛はどうしても伸びてきてしまいますからね。デュッセルドルフの付加価値がこんなところにも隠されていたというわけです。

前編ではカルチャーショックとホームシック絡みの話を中心に綴りました。後編では、日本車がドイツ車のようになれない理由やドイツでの産学協同体制などについて話をしたいと思います。

中川雅人氏
1956年愛知県生まれ。1980年、広島大学工学部第一類機械工学科卒業、日本電装株式会社(現・株式会社デンソー)入社。1988年-1993年、エンジニアとしてアイオワ州に駐米。2003年-2004年、全英担当チーフエンジニアとしてロンドン駐在。2005年アーヘン・エンジニアリング・センター所長、2014年欧州社長、2016年欧州CTO、2017年エグゼクティブフェローに就任。広島大学客員教授も務める。専門は技術移転論。14年間の欧州駐在歴から社内外から「ミスター欧州」と呼ばれている。

(Interview und Text von Kyoko Tanaka)