今から約50年前、スイスで発明された携帯用クォーツ時計。時計の国スイスと精密機器の国日本の間で繰り広げられている宿命の対決。その戦いは今もなお続いている。
◆1959年 時計業界はスイスのもの
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スイスの高級時計メーカー、「パテック・フィリップ(Patek Philippe)」が世界で最初の携帯用時計を発明するも、まだ腕に装着するには大きすぎた。電池が長持ちしないことも問題だった。

◆1967年 スイスがリード
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1967年、腕時計の正確さを競うクロノメーターコンテストで、ヌシャテル(Neuchâtel)にある電気時計研究所(CEH)のプロトタイプのクォーツ時計が、トップ10を独占した。ライバル日本のセイコーは惨敗。

◆1969年 日本が正確さと大量生産力で時計業界を驚かせる
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1969年、セイコーが、最初のクオーツ腕時計シリーズ「アストロン(Astron)」を発表。45万円で100個の限定販売だった。この価格は当時非常に高額で、トヨタのカローラ一台に匹敵するものだったが、一週間で完売。「アストロン」の開発者中村恒也は、初めから「アストロン」を大量生産が可能なように設計していた。

◆1970年 スイスの巻き返し
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20社ものスイスの時計メーカーが、プロトタイプの技術を応用して、さらに精密で正確性を保証するクォーツ時計を発表。技術開発に3000万 スイスフランが投資された。しかし、その仕組みは大量生産に不向きのものだった。

◆1973年日本が頭一つリード
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セイコーとその他の時計メーカーが、時間表示に液晶ディスプレイ(LCD)を使ったデジタル時計を開発。以前は、時間を表示するにはボタンを押さなくてはならなかったのだが、これによって時間が常に表示されるようになった。

◆1977年日本がピークを迎える
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セイコーはこの年時計メーカー世界一の売上を達成。1800万個の時計を製造し、7億ドルを売り上げた。

◆1979年スイスが「薄さの戦い」を制する
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クォーツ時計の日本の圧勝は、スイスの時計産業界に雇用の悪化をもたらした。企業の統合が促され、新しい企業「ETA」が誕生した。この年、ETAは、1.98ミリの薄さを実現したクォーツ時計「デリリウム(Delirium)」を発表。薄さを0.98ミリまで極めた「デリリウム」は、今日でも世界で一番薄い時計だ。

◆1983年想定外の商品でスイスの巻き返しが始まる
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ETAが、最初の「スウォッチ」(swatch)を発表。高級時計しか作らないと思われていたスイスが、安価時計の市場に進出してきたことは世界を驚かせた。デザイン性の高い“ファッションアイテム”として売り出された手頃な価格の「スウォッチ」は幅広い消費者層を魅惑した。

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2年後の1985年には、スイスの時計製造数は4500万個から6000万個に跳ね上がり、輸出した時計の80%はクォーツ時計で、そのうちほぼ半数がプラスチック製だった。

◆1988年日本の判定勝ち
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セイコーが、世界初の自動発電式クォーツ腕時計を発表。「キネティック(Kinetic)」と名付けられたこの技術は、手首に装着された時計が振られることで自動的に発電および充電する画期的なシステムだった。

◆2005年再び、技術力でセイコーに白星
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20年以上の歳月をかけて開発されてきたセイコーの「スプリング ドライブ」がようやく日の目を見る。機械式と同じようにゼンマイで動くのに、制御システムはクォーツと同じ水晶振動子という、機械式時計とクオーツ時計の両方の顔を併せ持つセイコー独自のハイブリッドシステムだ。

今もなお続く腕時計をめぐるスイス対日本の熱き戦い。しかし、ひょっとして両社のライバルはすでに違う相手、スマートウォッチ に移行しているのかもしれない。今後も両社の商品開発に期待しよう。