新日鉄住金エンジニアリング (株)
代表取締役社長 藤原 真一 氏

僕は高校、大学時代とサッカーをやっていました。ポジションはゴールキーパー。僕のようなサッカー経験者やサッカーファンにとって、NRW州はまさに聖地。FCケルン、ボルシア・ドルトムント、シャルケなどの名門サッカークラブがあるばかりでなく、ハイテクスタジアムから大小様々なアマチュアサッカーチームまで揃っている。サッカーを楽しむには最高の場所です。

ドルトムントにあるドイツ最大のサッカースタジアムのヴェストファーレン・スタジアム(Westfalenstadion); 出典: flickr/melllerh CC BY-NC 2.0 

しかし、“夢”のドイツ赴任の辞令を受けた時、僕はすでに47歳。もう少し若ければ、本場ドイツでフィールドに立つ勇気も持てたかもしれませんが、怪我のリスクも考えて40歳過ぎて始めたボートをやろうと一念発起、自宅から車で30分ぐらいの街、ミュールハイム(Mülheim an der Ruhr)のボートクラブ、ミュールハイマーボートクラブ(Mülheimer Ruder-Gesellschaft)に入会しました。

ミュールハイマーボートクラブの前で; 出典: プレイベート

ミュールハイムは、街の中心をライン川の支流であるルール川が貫く緑豊かな街です。ルール川と聞けば、ルール工業地帯の名前から汚れた河川を想像しがちですが、実際は、工業用の専用運河が整備されているので、主流のルール川は水面に周囲の美景が映るほどのきれいな川です。

ミュールハイムの街中を流れるルール川; 出典: flickr/factoids CC BY-NC 2.0

僕が所属していたチームはシニアチームだったので、参加は自由。毎週日曜日の朝9時に集まったメンバーを、その日の参加者人数で割り振って、4人乗りや8人乗りのボートを漕ぐんです。

シニアチームだし、みんなで漕ぐのだから“楽勝”だと思っていたら大間違い。まずは片道10kmを休憩なしでひたすら漕ぎ続けます。そして、折り返し地点でほんの少しだけ小休止を摂ったのち、また10km休みなしで漕ぐ。往復1時間の“ハードワーク”なのです。最初の頃は、全身バキバキの筋肉痛で棒のようになりました。

ボートクラブの前にて; 出典: プライベート

ドイツはサッカーだけでなく、ボート競技の強豪国でもあるのですが、その理由が実際にボートクラブに入ってみて、よくわかりました。まずはこのように超ハードなトレーニングができるインフラがドイツのいたるところにあるということ。片道10kmも漕げるところなど、日本にはなかなかありません。戸田のオリンピックコースですら、たったの2kmです。

出典: © Mühlheimer Ruder-Gesellschaft e.V.

もう一つは、若者を支えるシニア層の存在。ボートクラブの運営からジュニアの育成、ボートの管理まで、年金生活を送っているシニア達が中心となって活躍しています。

このようなシステムはミュールハイマーボートクラブだけに限らず、ドイツ全土の様々なスポーツ分野で確立しているようで、言わば、トップアスリートを育成するピラミッドの底辺組織が全国至る所に存在することを意味しています。日本でももっと積極的にシニアの力を活かしてスポーツの振興を図ったらよいと思います。

出典: © Mühlheimer Ruder-Gesellschaft e.V.

現地シニアに負けじと、次第に体力もついてくると、僕にも少し余裕がうまれ、艇上からの美しい風景を楽しめるようになりました。目の前からはるか遠くまで広がる緑と新鮮な空気。水辺を水鳥が遊ぶ長閑な田園風景。

そして、爽やかな風をきって10km漕ぎ終わった後には一杯のビールが待っていました。当時ドイツではグラス一杯までならドライバーでも飲酒が許されていました。ボートを漕いだ後は、チームのみんなでボートハウスのパブに上がり、爽快に一杯交わしました。

ボートクラブのバーにて; 出典: プライベート

毎週日曜日のボートクラブでのひとときは、僕にとって、仕事の疲れやストレスを一掃する大切な時間となり、出張以外の日曜日は欠かさず参加しました。

もちろん家族サービスも怠ってはいけませんから、ボートクラブ以外の時間は家族と過ごし、色々なところへ出かけました。近場という事では、特にライン川沿いの散歩やサイクリングが大好きでした。

ライン河畔を家族でサイクリング; 出典: プライベート

自宅近くのメッセの先から、ライン川沿いを南のデュッセル中心街に向かって上ったり、北のカイザースベルト(Kaiserswerth)方面に下って行くんです。カイザースベルトは城跡も残る古い町並みが魅力の小さな町です。

カイザースベルトに残る神聖ローマ帝国時代の遺跡; 出典: flickr/Javier CC BY-NC 2.0

爽やかでキラキラ輝く新緑の季節に自転車で駆け抜けるのも、冬の寒さで霞みがかった湿っぽい空気の中を凍えながら散歩するのも好きでした。

ルール川を望む丘にて; 出典: プライベート

メッセ横のライン河畔にあるシュネレンブルグ(Schnellenburg)というレストランで食事や休憩をとったこともしばしば。窓辺から四季折々の水景とライン川を行き交う船をを眺めることができます。子供が喜ぶメニューが豊富なのも助かりました。

ライン河畔にあるシュネレンブルグ; 出典: Restaurant Schnellenburg/Facebook

そして、自宅近くにアクアツォー(Aquazoo)という博物館的要素が盛り込まれた水族館があるのですが、ここは子供達のお気に入りの場所で、特に寒い冬の季節には何度通ったか知れません。

Nord Park(ノルドパーク)内にあるアクアツォーの館内; 出典: © Landeshauptstadt Düsseldorf/David Young

確かに子供達の好奇心が活発に掻き立てられる、コンパクトですが素晴らしい水族館です。

寒い冬に通い詰めたアクアツォー; 出典: プライベート

どこに出掛けようと子供達の好物はもっぱらソーセージでしたが、僕が好きだったのはNRW州でよく食されるシュバインスハクセ(Schweinshaxe)。アイスバインは豚すね肉を煮込んだものですが、こちらは豚スネ肉をローストしたもの。

じっくりローストしてあるので、外はカリッと香ばしく中はジューシーで最高に美味しいです。地元産のマスタード(Senf)を付けてザウワークラウト(Sauerkraut)を添えて食べるのが定番でした。デュッセルドルフのアルトシュタットにあるSchweine Janesはとても有名です。

出典: © Schweine Janes/Facebook

もちろんシュバインスハクセにはビール、何と言ってもアルトビールがよく合います。アルトビールは、色のわりにスッキリしていて、切れ味が売りのピルツにはない、若干の渋みが味わい深い余韻を残してくれます。

出典: © duesseldorf.brauhaus-joh-albrecht.de

アルトには本当にたくさんの銘柄があって、少しずつ味が違います。アルトシュタットのライン河畔の並木道にある醸造所直営のビアホール、ツム・ユーリゲ(Zum Uerige)などで良く立ち飲みをしたものですが、僕が足繁く通ったのは、オフィス近くのニーダーカッセル(Niederkassel)にあるBrauhaus Joh. Albrecht(ブラウハウス・ヨー・アルプレヒト)の酒蔵ビアハウスです。醸造したての新鮮なアルトを家族的な雰囲気で楽しむことができます。

出典: © duesseldorf.brauhaus-joh-albrecht.de

特別な記念日や大切なお客様を招待する時には秘密の場所へ行きました。デュッセルドルフ市街から離れたビルク(Bilk)という地区に、独日連合協会会長で、日独産業協会の名誉理事長もお務めのフォンドラン氏(Dr. Ruprecht Vondran)からこっそり教えてもらった隠れた名店、ガロネロ(Gallo Nero)というトラットリアがあります。シチリア出身のオーナーシェフ、エマヌエル(Emmanuel)のチームが美味しいイタリア料理とワインをリーズナブルな価格で提供してくれます。

ガロネロの店内。最高の料理をリーズナブルな価格で楽しめる; 出典: © the-duesseldorfer.de

そして、寒いクリスマスの季節がやってくると、クリスマスマーケットに出向くのが我が家の通例でした。毎年少しずつ、キリスト誕生の様子を再現した模型のクリッペ用フィギュア(Krippenfiguren)を集めるのが妻の楽しみでした。

デュッセルドルフのクリスマスマーケット; 出典: © Düsseldorf Marketing & Tourismus GmbH

ところが、2回目のクリスマスマーケット訪問を終え、ドイツでの生活も3年目を迎えたある日、突然、会社から帰国の令が下さたのです。一般的に駐在員の滞在期間は4、5年なので、思ってもみない短さでした。家族全員がドイツの生活に慣れ、楽しみ方を知り、これからもっとエンジョイしたいと思っている時の知らせで、大変なショックを受けたことを今でもはっきり覚えています。

今でも毎年、クリスマスの季節になると、一年間大切にしまっておいたクリッペ用フィギュアの箱をそっと開けて、嬉しそうに人形を一つ一つ大事に飾る妻の姿。暗く冷たい長い冬をも大切に思い、自然との調和を意識しながら心豊かに生活するドイツ人から学んだ暮らし方です。

 

我が家のクリッペ用フィギュア 出典: プライベート

僕が帰国してからの10年間ほどで、ドイツは大きく変わりました。大胆な構造改革によって、規制緩和が進み、企業活動も当時と比べて数段も活発に行えるようになりました。

ヨーロッパで事業展開するなら、イギリスのブレグジットもあるので、ドイツへの進出がベストの選択肢となりつつあります。そして、ドイツの中でも、欧州を股にかけて働くビジネスマンにはデュッセルドルフが一番の地です。

近代化された地区として有名なメディアハーフェン; 出典: © Düsseldorf Marketing & Tourismus GmbH

意識する人は少ないかもしれませんが、デュッセルドルフの空港の近さはかなり至便です。大抵の空港は市街地から離れているので、自宅と空港間の時間ロスが馬鹿になりません。

デュッセルドルフの場合、市街地から空港まではわずか15分程の距離。便数も多くて、路線も豊富。空路で国内外出張を頻繁にする人にとって、デュッセルドルフはビジネスハブとして極めて優れている街なのです。

便数も路線も豊富なデュッセルドルフ空港; 出典: flickr/archangel12 CC BY 2.0 

普段は伝統や秩序を尊重し守ろうとするドイツ人。しかし、変革の必要性が明確で、ロジカルであれば、一気に変化に伴う困難を乗り越えて次の繁栄へとつなげていく姿勢。長い休暇をとりながらも高い生産性を保ち、発展していく。そこには高い戦略性と集中力が垣間見えます。これをゲルマン魂というのでしょうか。

僕は、友人などによく「Look Germany!」と言っています。理屈はわかっていても、なかなか変えない、変えたがらない日本、そして日本人。ドイツを見習うべきだと思います。

日本に帰国して13年。ミュールハイムで漕いでいたボートは戸田のボートコースで今でも続けています。そして、毎年クリスマスにクリッペ用フィギュアを飾りながら、「この部分が足りないの!」と訴えてくる妻。ゆっくりできる時期が来たら、妻と二人で再びクリスマスマーケットを訪れてみたいと思っています。

藤原真一氏
1954年岡山県生まれ。岡山県立岡山朝日高等学校を卒業。1978年、東京大学法学部卒業、新日本製鉄株式会社(現・新日鉄住金)入社。1985年、ハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School of Government, KSG) 留学。93年原料第二部鉱石第二室長、2001年欧州事務所長に就任。2010年参与、2011年執行役員、2013年常務執行役員、2015年、新日鉄住金エンジニアリング株式会社代表取締役社長に就任。

新日鉄住金エンジニアリング(株)代表取締役社長 藤原真一氏「私とドイツとNRW(前編)30年を経て叶ったドイツ赴任」はこちら