関西学院大学副学長、元駐ドイツ日本国大使
神余 隆博 氏 
ドイツに渡ったのは23歳の時でした。外務省に入省した翌年、ドイツ中部のゲッティンゲン大学に留学することになってね。1973年のことです。僕にとっては初めての海外渡航でね。まだ冷戦時代だったし、今と違って、渡航もアラスカ経由で北極周りという大変なものでした。もう二度と日本には帰ってこられないのではないか、とまるで水盃を交わすような気持ちで出発しましたよ。
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それから学生と職務期間と合わせて14年間、半分以上の8年間がノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州だったんですが、ドイツに滞在しました。随分長い年数でしたが、一度たりともホームシックにはかかりませんでした。毎日が新鮮で吸収するものが沢山あって、楽しくて仕方なかったんです。

僕がドイツで何よりも好きだったのが、あの素晴らしい景色。特に初夏のヴィーゼ(Wiese)は最高ですね。見渡す限りの新緑の草原と小さな花々。一面がキラキラと輝いていて、本当に美しい。街に行くと、赤い屋根や木組みの家々、石畳とか、まるでおとぎの国の世界でね。なんと綺麗な国なんだろうってね。

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とにかくもっとドイツを知りたいと思って、早速、ゲッティンゲン大学時代に車の免許を取りましたよ。初めての自動車免許がドイツだったので、取得はかなり大変でした。一度、実技試験で落ちたりしてね。でも、晴れて免許を取得してからは、休みの日はとにかく色々なところに行きましたよ。

カルチャーショックは沢山経験しました。まず、日本人なら誰でも驚くドイツの閉店法。日曜日に買いたいものが買えないというのは最初、とても不便に思いました。

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でもね、慣れてくると、日曜日は家事も含めて働かずにきちんと休むということの大切さが分かってきました。一週間の過ごし方、生活全般のあり方を学んだ気がします。

あとは、味覚や嗅覚といった感覚の違いも感じましたね。学生だった頃、下宿先で、キャベツ炒めをしていたんです。そしたら、大家さんが来てね、「それはやめてくれ。その匂いは耐えられない。」と言われたんです。

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ドイツではキャベツは炒めるものではなくて、煮るものなんですね。フライパンで焼かれたキャベツの匂いが、隣人たちの嗅覚をたまらなく刺激してしまったようです。

もう一つ、なかなか慣れなかったのが、ドイツ人の強い善悪と正否の意識です。何が正しいのか、正しくないのか。法的にどうなのか。この意識はドイツ人が毎日の生活の中でごく普通に持っているもので、ルール遵守や権利の主張などの形で現れます。

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席一つをとっても、自分が座る権利があると確信していれば、それを主張するし、道路上でも自分に優先権があると思えば譲ろうとはしません。その意識の強さは、隣人への生活干渉にまで及ぶことがあります。芝生を刈りなさい、庭の掃除をしなさい、洗濯物を外に干してはいけない、朝9時までは静かにしなさい、等々。

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間違ったことをしている人を見れば、自分の時間やエネルギーを犠牲にしてでも、その人の過ちを看過しません。例えば、学生の頃、僕の車が駐車場で他の車に当てられたことがあるんですが、それを目撃した人が、ずっと僕の帰りを待っていて、「自分が証人になるから、きちんと弁償してもらうように。」と助けになってくれました。

僕が買い物に行っている間のかなり長い時間ですよ、その男性は、当てた女性を留めらせて、僕の帰りを待っていたんです。そんなことは日本では考えられないですよね。ドイツ人は「善と悪」と「正と否」の意識が強いんですよ。

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ドイツでの生活を通して、僕の中でもそういった意識が少し強くなったような気がします。もちろんTPOはわきまえますが、以前より億劫なく他人に注意できるようになりましたね。でも、これは昔の日本でも行われていたことですからね。

「干渉」といってしまえば、悪い言い方になりますが、良い言い方をすれば、「関心」とも言えるのではないでしょうか。ドイツ人はクールに見えて、他人への興味や関心が強いんだと思います。人間同士が信頼関係を築くことや深めることにも熱心です。

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ドイツには自宅への招待文化というものがありますよね。僕もドイツ人からこの社交のあり方を教えてもらってね、滞在中、ずっと実践しました。素晴らしい文化ですね。

もちろん、他人を招待するのは手間がかかって楽なことではありません。でも、自宅に招待すると、ゲストの喜び方が全然違うんです。レストランに招いたのを1とすれば、自宅に招くのは5ぐらい。そのぐらい違いますよ。

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家族を紹介し、家の中を案内して、全てをさらけ出すわけですから。招かれた客は、僕の色々なことを知るわけです。どんな本を読んでいるのか、こんな画風の絵が好みなんだ、こういう環境の中で生活しているんだってね。

トータル的に僕というものを捉えて理解してくれるようになります。招待するとね、ドイツ人は必ず招き返してくれますから。そうやってお互いの理解や信頼を深めていくことができるんです。ドイツ人との関係を深めるには最高の手段です。在独中の方、ぜひトライしてみてください。回を重ねるごとに楽しくなりますよ。

神余 隆博 氏

1950年香川県生まれ。1972年大阪大学法学部卒業、外務省入省。ドイツ・ゲッティンゲン大学留学、ドイツ公使、欧州局審議官、在デュッセルドルフ総領事、国際社会協力部長などを経て2006年から日本政府国連代表部大使、2008年から2012年2月まで駐ドイツ大使。2012年4月から関西学院大学副学長・教授に就任。大阪大学客員教授も務める。2015年からベルリン日独センター総裁。

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