ドイツの各都市って、パリやミラノ、あるいはロンドンやアントワープに対して抱くような「ファッショナブル」なイメージには乏しい? はい、それ、否定しません。
出典: flickr/Moyan Brenn CC BY 2.0

日本から旅行に来て、パリから列車でミュンヘンに入った友人が開口一番、「フランス人とドイツ人では着ている服の色やシルエットがぜんぜん違うね!」と言ったのには思わず笑ってしまいました。そう、異素材を上手に組み合わせたり、華やかな色のアイテムを効果的に使う人が目立つパリの人たちに比べて、ミュンヒナーたちの身に着けているものは色も地味で、機能性重視というか、着心地重視というか。あるいはちょっと気を使っていそうな人がいても「自分らしさが大切」というか……「ファッショナブル」とはちょっと違います。

もちろん、個人レベルでは地下鉄の駅などに「おしゃれだなあ」と見とれてしまうような人も稀にいますし、ジル・サンダーやカール・ラガーフェルドのような素晴らしいドイツ人デザイナーもいます(ただし、彼らが成功したのはそれぞれミラノとパリに拠点を移してからのことですが)。

出典: © Jil Sander

「着飾ること」を重要視しない空気感のようなものは、ドイツにはたしかに存在しています。

例えば、私が移住してきたばかりのころ、ちょっと個性的な服を着ていて、ドイツ人の友人に「それって日本で買ったでしょ?」なんて面白そうに言われたこともありました。

あるいは、はりきって服を選んでも「可愛いね!」なんて言ってくれるのは同じ日本人だけ。ドイツ人の夫には、「なんでそんなドレスアップするの? ちょっと出かけるだけなのに」なんて不思議そうな顔をされる始末。

出典: flickr/Antonio Tajuelo CC BY 2.0

そう、ここではおしゃれをしても、目にとめてもらえないどころか、「ちょっと変わった服を着ている変わった人」扱い。もともと熱心に服をとっかえひっかえするほうでもなかった私は、これは楽でいいや、とどんどん「着心地重視」モードへ。

白状すれば、移住してから現在までの約3年間でドイツで買ったのは、わずかセーター1枚だけ! 引っ越しの際に日本から持ってきたベーシックなアイテムだけで、十分に事足りてしまいます。クローゼットの隅では、すっかり着なくなってしまったワンピースなどが色あせていくばかり……(いま見てみたら、ヒールにもクモの巣が張っていました)。ぺらぺらしたワンピースでは寒すぎる、石畳をヒールではとても歩けない、という実質的な問題もあるのですが。

出典: flickr/Benedict Benedict CC BY 2.0

でもなぜドイツ人はそれほどファッションに熱心ではないのでしょう? 不思議に思って夫に尋ねてみました。

「ねえ、なんでドイツ人は服にあまり興味がないの?」
「えっ? 僕おしゃれじゃないかな?」
「今日も全身日本で買ったユニクロじゃん」
「うーん……見た目よりも、気持ちがよいかどうかが大切だからじゃないかな?」
「だからそれはなんで?」
と聞いたところで、私はふと思いました。
「ファッションで異性の気を惹こうとしていないからかな?」
「あ、それはあるかもね」
と夫も同意。

たしかに、この国では着飾ること、流行を追うことに熱心なのはむしろマイナスイメージ。「インテリジェントさや、ヘルシーさのほうが大切なのに」「なにより経済的じゃない!」と、恋愛対象からは外れがちになるように思います(もちろん、おしゃれをするのは異性の気を引くためだけではありませんが)。

出典: flickr/Sascha Kohlmann CC BY-SA 2.0

ファッショナブル≠モテ、つまり服を選ぶ際に異性の目を意識する必要がない……となった結果、ドイツ人のまずは着心地や機能性、コストパフォーマンスに、そして自分らしいかどうかに偏ったファッションができあがっているのではないかと思うのです。さらにそれはなぜか? を考えるのは、男女同権問題や教育、地理的・歴史的なものまで絡んできそうなので、またの機会に……。

東京で、まつげエクステとネイルアートを欠かさず、ハイヒールを鳴らしながらいつもきれいな服をひらりとなびかせているあの友人をドイツに1年も住まわせたらどうなるだろう? なんて思わず想像してしまう、ドイツ生活なのです。

溝口シュテルツ真帆

編集者、エッセイスト。2014年よりミュンヘン在住。自著に『ドイツ夫は牛丼屋の夢を見る』(講談社)。アンソロジー『うっとり、チョコレート』(河出書房新社)が好評発売中。『Huffington Post』『YOUNG GERMANY』にサンティアゴ巡礼記連載中。日独間の翻訳出版エージェント業にも携わる。twitterアカウントはこちら→@MMizoguchiStelz